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東京地方裁判所 昭和43年(ワ)11023号 判決 1972年3月11日

原告

甲野太郎

被告

乙野二郎

被告

乙野花子

右両名代理人

成富安信

外一名

被告

丙野三郎

被告

丙野春子

右両名代理人

坂田幸太郎

外一名

主文

昭和四三年(ワ)第一〇、六六八号、同第一一、〇二三号事件原告の請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は、右各事件原告の負担とする。

事実《略》

理由

第一被告乙野二郎、同花子関係(昭和四三年(ワ)第一一、〇二三号事件)

一<証拠>によれば、原告は昭和四〇年四月国立T医科歯科大学医学部大学院に入学し、同時に同大学医学部耳鼻咽喉科学教室(医局)に無給医局員として勤務することとなり訴外A子は同月同学部専攻生の資格で同医局に入り同様に無給医局員として勤務していたところ右両名は医局入局後間もなく知り合い、同年一〇月肉体関係を結び婚約するに至つたこと、その後原告は昭和四一年一月上旬A子の母親からもA子との結婚についての承諾を得たうえ、同月二二日婚約指輪を同女に買い与えたことが認められる。

二被告二郎が国立T医科歯科大学医学部助教授(同学部耳鼻咽喉科学教室と同学部難聴研究施設難聴機能検査研究部の双方に勤務)であり、被告花子がその妻であることは当事者間に争いがなく、<証拠>によれば、原告はA子と婚約後、然るべき人物に仲人になつて貫い正式に結婚式を挙げる必要があるものと考え、A子と相談のうえ、原告が医局入局以来外来診療や外国書講読会の席上親しく指導を受けていた被告二郎にこれを依頼することとし、昭和四一年三月一一日被告二郎の部屋へ赴き、A子と婚約した事実を告げ仲人を依頼したところ、被告二郎は、結婚式の媒酌をつとめるのは、これまでの医局内での慣行からも主任教授である被告三郎に依頼すべきものであり助教授である自分はその任ではないこと、しかし原告とA子両名の恋愛の締めくくりとして結納授受の媒介を行なう程度の労は厭わない旨答えたため、原告もその旨諒承し、翌一二日A子を伴ない被告二郎の部屋へ挨拶に行つたこと、被告二郎は右依頼の趣旨に基づき同月三〇日原告宅に赴き、原告の用意した結納品一式および結納金二〇万円をA子宅へ届けたこと(結納したことは争いがない。)が認められ、<証拠判断省略>。

ところで、従来仲人または媒酌人とは、婚姻当事者双方の間に介在して婚姻を成立せしめるのに必要な仲介(婚姻当事者が未だ婚姻の意思を決定していない段階に於ては、婚姻当事者の身元調査その他の情報提供、双方の引き合せである所謂見合その他婚姻意思を決定せしめるのに必要な諸般の事情につき双方の意思疏通を計ること等、婚姻当事者が婚姻の意思を決定した以後の段階では結納の授受、結婚式の挙行等)に関与する者と解されてきたが、近時は単に結婚式もしくは披露宴に出席し、婚姻当事者双方の紹介および祝福を行なうに過ぎない所謂頼まれ仲人と称する者も存し、その定義は必らずしも一律に規定することができない。そして、従来の意味における仲人の場合においても、婚姻当事者と仲人との間の人的関係、依頼の経過、趣旨、報酬支払いの事前の合意等の如何によつては、当事者は婚姻の成立を目的とする一種の委任請負類似の契約関係の発生を意図しているものと解される余地も生ずるであろうが(但し、右契約の全部またはその報酬支払いの合意部分が果して公序良俗に反しない有効なものであるか否かはまた別問題である)、そのように解する余地のない場合には、たとえ仲人を依頼し、これに応ずる旨の表面上は契約の如き現象がみられるとしても、仲人は道義上の義務としては格別、原告主張の如く婚約を法律婚に推進すべき法律上の義務を負うものとはいえない。

これを本件についてみると、前認定のとおり原告と被告二郎との間にはいわゆる師弟関係が存するのみであり、原告はそれ故にこそ被告二郎に依頼したものにすぎず、被告二郎が引き受けた事項は結納の授受についての媒介に限定されていたのであるし、もとより婚姻成立後に報酬を支払う約定が存したとも認められないから、原告主張の如き婚約を法律婚に推進すべき仲人契約の成立は認められず、したがつて右契約の成立を前提とする原告の請求は、その余の点について判断するまでもなく失当といわなければならない。

三そこで、以下原告主張の不法行為について判断する。

(一)  <証拠>によれば、被告二郎は前記のとおり原告とA子間の結納授受の媒介を引き受けたので、昭和四一年三月一七日原告宅に赴き、持参した旧暦の暦を参照のうえ結納の儀を取り行なう日取りを吉日である同月三〇日と決定したが、原告の依頼に応じ結婚式の日取りについても同年六月末と一〇月二二日の両案を示し、原告ができるだけ早く挙式したいと考えていたところから前者を希望する旨答えたところ、六月では女性の支度が大変だから秋の方が妥当である旨述べ、結局一〇月二二日に決つたことが認められ、<証拠判断省略>。しかし、被告二郎が原告主張の如く婚約中の原告とA子の仲を破綻させる目的で殊更に後者を支持したことを認めるに足りる証拠はない。

(二)  <証拠>によれば、昭和四一年三月三〇日被告二郎によつて原告からA子宅へ届けられた結納金二〇万円の金額は、被告二郎の提案に基づき決定されたことが認められ、右認定に反する証拠はない。しかし、右金額の決定が原告とA子の婚約関係を容易に破綻し得るため不当に低額とされたことを認めるべき証拠はない。

(三)(イ)  <証拠>によれば、T医科歯科大学医学部耳鼻咽喉科医局は、昭和四一年五月中旬、毎年恒例の医局員全員の参加する懇親旅行を実施するものと定め、前例に従い新入医局員である原告は世話役として同年一月頃から行先の選定等下準備を進めていたところ、同年四月中旬に至り突然右旅行は秋まで延期されることになつたが、これはちようど旅行予定日頃開催される音響学会において、同学部難聴研究施設の主任教授が研究発表を行ない、これに医局員の多数が出席することになつたためであることが認められ、<証拠判断省略>。

(ロ)  <証拠>によれば、原告は昭和四一年四月一一日前記医局の懇親旅行延期の打ち合せ等で医局内を奔走中、たまたま当時医局長であつたI講師の部屋へ赴いところ、同室内において医局出入の製薬会社セールスマンの持ち込んだ所謂ブルーフイルムが映写されようとしており、これまでそのようなものを観る機会を持たなかつた原告は、好奇心から二〇名前後の医局員と共に映写された同フイルム三本を観たが、男女の性交を露骨に描写した場面に強い衝撃を受け、自分の婚約者であるA子が何者かに強いて姦淫されるのではないかとの強迫観念に襲われるに至つたことが認められ、右認定に反する証拠はない。

(ハ)  <証拠>によれば、原告は昭和四一年四月一五日医局のH助手から明一六日気管切開手術と副鼻腔炎手術をやる予定であるが、原告が希望すれば右両手術の執刀を担当させたい旨連絡を受けたのでこれを承諾し、当日はまず気管切開手術から取りかかり無事終了後、副鼻腔炎患者の手術を開始することになつたところ、気遅れした原告がなかなか執刀を開始しないため、見兼ねたO専攻生が執刀の役を引き受け手術が開始され、原告は介者として鉋引きをやることになつたが、出血が甚だしく結局手術は途中で中止されたこと、右手術中止後Oは、右手術患者はミクロへーン(蓄膿症の一種)であつた旨所見を述べたこと、右患者については如何なる理由からか手術時にレントゲン写真は用意されていなかつたが事後に発見されたことが認められ、<証拠判断省略>。

(ニ)  <証拠>によれば、原告は昭和四一年四月上旬頃から心神に異常を覚え、同月二〇日自宅近くの病院で診察を受けたところ蛋白尿が検出され腎炎の疑いも生じたため、暫らく休養することに意を決し、同日診察を受けた医師の診断書を添えて被告三郎宛休養願を提出し、約一〇日間医局勤務からも離れたが、五月に入り医局に復帰して以降、原告に対しては臨床研究に参加する機会を与えられなかつたことが認められ、右認定に反する証拠はない。

(ホ)  <証拠>によれば、原告は昭和四一年五月五日千葉大学で開催された日本耳鼻咽喉科学会に出席した際、当時医局野球部の監督であつたT助手より、原告に貸与してある野球部のユニフォームを返還するよう催告を受けたこと、その後同月中に行なわれた医局内の野球試合に原告は出場の機会を与えられなかつたこと、右野球試合のスナップ写真が医局内に掲示されたことが認められ、右認定に反する証拠はない。

以上認定した(イ)ないし(ホ)の各事実を通じて、原告主張の如く被告二郎が原告を医局より除け者にしようと策動し、或は原告とA子とを別れさせる目的で右各事実に関与し、もしくはこれらを知りながら黙過していたことを認めるべき証拠はない。

もつとも、<証拠>によれば、原告は昭和四一年四月中旬前日に手術を行なつた自分の担当患者に対して爪の色の急変のみを理由に退院させたうえ他所に転医の措置をとるべきことを患者および看護婦に対して強硬に主張したこと、これは一般医学の常識からみて余りに突飛な主張であつたため原告の右指示に従うべきか否か看護婦らも甚だ当惑し、結局医局主任教授である被告三郎の指示を仰ぐこととなり、原告も釈明のため被告三郎の部屋へ赴いたこと、原告は極度の興奮状態に陥り右退院指示の件についての合理的説明をなし得なかつたところから、被告三郎は原告の心神が少なからず異常を来たしているものと認め、このままの状態で原告に臨床実習を続行させることは他の患者にも心理的不安を与え好ましくないと判断し、暫らく休養し心神の回復をはかるべきことを原告に勧告したこと、原告も右勧告に従い同月二〇日診断を受けたところ蛋白尿が検出されたため、前記のとおり休養願を被告三郎宛提出したこと、およびこれと前後した頃医局図書室の鍵が紛失したが、たまたま原告が右鍵を所持していることが判明したにも拘らず、原告は鍵の拾得者はその所有者であり、鍵を紛失した者が非難されずに拾つた者が非難されるのは不当であると称して鍵を担当者に返還せず、そのため暫らくの間医局員は図書室を利用することができなかつたことが認められ、<証拠判断省略>。

右の事実からすると、原告の惹き起した右各事件以後医局内では原告を若干特殊な眼で見る雰囲気が存するようになつたことは推認され、また被告二郎も原告の医学研究者としての将来に疑問を抱くようになつたことは後記認定のとおりであるが、そのことから直ちに被告二郎が単なる私情に基づき原告を医局から放逐しようと策動していたものと断定することはできない。

(四)  被告二郎が昭和四一年五月五日A子宅へ原告と別れるべき旨を電話したことについては、この点に触れる<証拠>はいずれも伝聞に基づくものでありたやすく信用できず、他にこれを認めるに足りる証拠はない。

(五)  <証拠>によれば、原告は昭和四一年五月六日被告二郎よりA子に電話すべき旨指示されA子宅へ電話したところ、A子は電話口へ出ず、代りに出たA子の母と口論する結果となつたことが認められ、右認定に反する証拠はない。しかし、被告二郎の右指示が原告とA子とを仲違いさせる意図に基づいてなされたことを認めるべき証拠はない。

(六)  <証拠>によれば、被告二郎は昭和四一年七月一日原告宅に赴き、原告がこのまま大学院において医学研究を続けるよりも他所で病院勤務をする方が妥当である旨原告の両親に対し進言し、翌二日原告に対しても右同様の趣旨の勧告をなしたことが認められ、右認定に反する証拠はない。しかし、被告二郎がとくに原告を医局より追放してA子との仲を裂く意図のもとに右発言を行なつたことを認めるべき証拠はない。かえつて、<証拠>によれば、原告が医局内で惹起した前記各事件やその他原告のやや常規を逸した行動を見聞した被告三郎、同二郎を含む医局内のスタッフは、昭和四一年四月頃から原告が大学院生として将来にわたり高度の医学研究を遂行する能力ないし適性に強い疑問を抱くに至つていたことが認められ、右事実からすると前記被告二郎の発言も、前記医局スタッフの原告に対する当時の評価に基づいて行なわれたものと推認される。

(七)  被告二郎が昭和四一年七月五日医局内でA子に対し、原告と別れるべき旨の勧告をしたことについては、<証拠>以外にはこれを認めるに足りる証拠はなく、右各<証拠>は<証拠>に照らしてたやすく信用できない。

(八)  被告二郎が昭和四一年一〇月二二日外国へ出発したことは当事者間に争いがない。しかし、右外遊が原告とA子の結婚問題に多少なりとも関連してなされたものであることを認めるべき証拠はない。

(九)  <証拠>によれば、A子は原告との結納の儀を取り行なつてから間もなく、原告との性格不一致に気がつき結婚することにためらいを感ずるようになつたが、その後ますます原告との結婚を回避しようとする気持が強固となり、被告二郎の外遊中母親を伴ない、原告より交付された結納品を持参して原告宅へ赴き、原告との婚約を解消したい旨申し入れたけれども、原告がこれに応じないところから話し合いは物別れに終つたこと、A子は被告二郎に対しその帰国後事情を打ち明けたうえ原告との婚約解消につき尽力して欲しい旨懇請した結果、被告二郎もこれを諒承し、右依頼の趣旨に沿つて昭和四一年一二月八日A子側の意向を原告宅へ電話したことが認められ、右認定に反する証拠はない。

(一〇)  A子が昭和四二年一一月二二日訴外Sと婚姻したこと、被告二郎、花子両名がこれを祝福したことは当事者間に争いがなく、<証拠>によれば、A子は原告との関係が破綻した後、同じ医局内の専攻生であつた前記Sと親密となり、前記のとおり婚姻するに至つたが、挙式に先立ちSは被告二郎の訴へ結婚式の招状待を持参して出席を求めたが、被告二郎は右結婚式に出席しなかつたことが認められ、右認定に反する証拠はない。

四以上、三の(一)ないし(一〇)に示した被告二郎の各行為は、A子に原告との婚約を不当に破棄せしめたものと解することができないのは勿論、仮に原告主張の憲法上の諸権利に関する規定が私人間に直接適用されるものとしても、これらを不当に侵害したものと認める余地はなく、また原告の名誉を毀損し原告を脅迫強要したものともいえない。なお、被告花子が被告二郎の右各行為に関与したことを認めるに足りる証拠はなく、A子とSの婚姻を祝福したことの一事をもつて原告に対する不法行為となし得ないことはいうまでもない。

よつて、不法行為に基づく原告の被告二郎、同花子に対する請求も失当といわなければならない。

五次に、被告らに対する二万円の不当利得返還請求について判断する。

<証拠>を総合すれば、原告の父親は、昭和四一年七月上旬被告二郎の研究室を訪れ、ウイスキー一本と現金二万円を同被告に対して交付し、その際単にこれまで何かと被告二郎の世話になつた旨謝意を述べたに止まつたこと、父親は原告が前記のとおり四月以降医局内で惹起した事件やそれに続く休学等に心痛のあまり、それまでにも原告の将来についてたびたび被告二郎の許へ相談に訪れ、同被告からそのつど相談に乗つてもらつていたこと、折しも右は時期的にも中元にあたること、被告二郎は、このような事情のもとで右金品は中元を兼ねて右相談に応じたことに対する謝礼の趣旨であると解してこれを受領したものであることが認められ、<証拠判断省略>。

右の事実によれば、右金品の交付は単なる儀礼的な趣旨での贈与とみなすべきものであるから法律上の原因が存し被告二郎、同花子に不当利得の発生する余地はなく、この点に関する原告の請求も失当といわなければならない。

第二被告丙野三郎、同春子関係(昭和四三年(ワ)第一〇、六六八号事件)

一原告が昭和四〇年四月国立T医科歯科大学医学部大学院に入学し、A子は同月同学部専攻生として入学し、いずれも入学と同時に同大学医学部耳鼻咽喉科学教室(医局)に無給医局員として勤務するようになつたこと、被告三郎が同大学同学部教授であり、被告春子がその妻であることはいずれも当事者間に争いがなく、<証拠>によれば、原告とA子は医局入局後間もなく知り合い、同年一〇月肉体関係を結び婚約するに至つたこと、その後原告は昭和四一年一月上旬A子の母親からもA子との結婚についての承諾を得たうえ同月二二日婚約指輪を同女に買い与え、同年三月三〇日結納の儀を行なつたことが認められ、右認定に反する証拠はない。

二被告三郎、同春子が、昭和四一年七月二日原告の母親からの依頼に応じて原告とA子両名の婚姻の仲人となることを承諾したことおよび被告春子が同日仲人前渡金として五万円を原告の母親より受領したことについては、<証拠>以外にはこれを認めるにたりる証拠がなく、右各証拠はいずれも<証拠>に照らしてもたやすく信用できない。よつて、原告主張の仲人契約の成立を前提とする原告の請求は失当といわなければならない。

三そこで、以上原告主張の不法行為について判断する。

(一)  請求原因一二、の(イ)、(ロ)、(ニ)については、昭和四三年(ワ)第一一、〇二三号事件理由三、の(三)の(イ)、(ロ)、(ホ)においてそれぞれ認定したとおりであり(但し甲第四号証の三、第三〇号証の二の成立については当事者間に争いがない)、右各事実を通じて、原告主張の如く被告三郎が原告を医局より除け者にしようと策動し、或は原告とA子とを別れさせる目的で右各事実に関与し、もしくはこれらを知りながら黙過していたことを認めるべき証拠はない。

(二)  <証拠>によれば、原告は昭和四一年四月二五日原告の父親を同道して被告三郎の研究室に赴き、H助教授立会いのうえ、医局内で原告の惹起した前事件等の件について被告三郎と面談したが、その際同被告は、原告の担当患者に対する前記退院勧告事件における同被告の判断に基づき、休養期間は三カ月でも構わない旨述べたことが認められ(休養を指示したことは争いがない。)<証拠判断省略>。しかし、被告三郎が単なる私情に基づき原告を医局において村八分にする目的のもとに右発言をなしたことを認めるべき証拠はない。

(三)  A子が昭和四二年一一月二二日前記Sと婚姻したこと、右両名の結婚式に被告三郎、同春子両名が仲人の役をつとめ祝福したことは当事者間に争いがない。しかし、被告三郎がA子に対し原告を精神病者である旨告げたり、原告とA子両名の婚約を知りこれを妨げるためA子を圧迫したこと、原告が心神耗弱状態におちいつた(このことは争いがない。)原因を作つたことを認めるべきで証拠はない。

四以上、三の(一)ないし(三)に示した被告三郎の各行為につき、原告に対する不法行為の成立する余地がないことは昭和四三年(ワ)第一一、〇二三号事件理由四において判断したところと同一である。なお、被告春子が被告三郎の右各行為に関与したことを認めるに足りる証拠はなく、A子とSの結婚式に仲人の役をつとめ祝福したことの一事をもつて原告に対する不法行為となし得ないことはいうまでもない。

よつて、不法行為に基づく原告の被告三郎、同春子に対する請求も失当といわなければならない。

五被告らに対する五万円の不当利得返還請求については、前記二、において判断したとおり、原告の母親より被告春子に対して五万円を交付した事実が認められない以上、被告らに不当利得の発生する余地はなく、この点に関する原告の請求も失当といわなければならない。

六最後に、被告三郎に対する五万円の不当利得返還請求について判断する。

(一)  <証拠>によれば、T医科歯科大学医学部耳鼻咽喉科医局は、財団法人日産厚生会診療所の要請に応じて昭和二二年頃から医局員を交替で派遣し、同診療所における診療行為を担当させていたが、これに対し同診療所は、医局より出張勤務して実際に医療行為を行なう医局員の報酬のほか、同診療所の開設者として医局所属の医師の名義を借りていた関係上その謝礼の趣旨としての名義料および医局全体の共益費に供する趣旨の医局研究費の三本立てによる礼金を毎月まとめて支払つていたこと、昭和四〇年一一月右礼金の総額が従来より二万円増額されることとなり、右増額分の配分をめぐり、医局内では当初これを全額出張勤務者に与えるべきものとする意見や、反対に医局研究費に振り向けるべき旨の意見等対立を生じたが、結局右増額分中五千円は出張勤務者に、残る一万五千円は医局研究費に繰り入れることに決つたこと、原告は昭和四一年一月および二月同診療所へ出張勤務したので(この点は当事者間に争いがない)、前記決定により従来の報酬のほか増額分の二カ月分として合計一万円の支給を受けたこと、ただし当時同診療へは毎週月曜から金曜までは無給医局員が、土曜日は被告二郎がそれぞれ出張勤務し、被告二郎に対する報酬は前記出張勤務者に対する報酬とは別枠として医局研究費の一部を割いてこれに充てていたところ、前記増額に伴ない被告二郎に対する報酬も従来の二万円から二万五千円に増額されるに至つたことが認められ、<証拠判断省略>しかし、被告三郎が前記増額分中一万円を学会準備金と称して医局の会計とは別に個人的に取得保有したことについては、原告本人尋問の結果以外にはこれを認めるに足りる証拠がなく、右原告本人尋問の結果は被告三郎本人尋問の結果に照らしてたやすく信用できない。

(二)  <証拠>によれば、同診療所は毎年夏期に、前記礼金とは別に賞与名義の金員を医局に対して支払つていたことが認められ、昭和四一年度も例年どおり賞与の支払いがあつたことは当事者間に争いがないが、その金額ならびに分配が如何になされていたかは一切不明であり、被告三郎が原告に支給されるべき同年夏期賞与を自ら受領して取得保有したことを認めるべき証拠もない。

右各事実によれば、被告三郎に不当利得の発生する余地はなく、結局この点に関する原告の請求も失当といわなければならない。

第三結論

以上のとおり、第一、第二を通じ原告の各被告に対する請求はいずれも理由がないから、失当としてこれをすべて棄却することとし、訴訟費用の負担については民事訴訟法八九条を適用して主文のとおり判決する。

(沖野威 佐藤邦夫 大沼容之)

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